山まゆの里染織工房の布は、家蚕(かさん)と天蚕(てんさん・ヤママユ)という二つの“いのち”から生まれます。家蚕は人とともに暮らしてきた蚕、天蚕はクヌギなどの木の上で育つ野生の蚕。食べる植物も、暮らし方も、繭と糸の表情も違います。ここでは二つの蚕のちがいを、ご紹介します。
目次
ふたつのプロフィール
家蚕(Bombyx mori)
- 食草:桑(くわ)
- 暮らし:人のそばで飼育・改良された蚕。成虫は口が退化し、ほぼ食べず飛べません。
- 繭の色:白〜淡黄
- 糸:なめらかで均質、染めの再現性が高い
天蚕(Antheraea yamamai=ヤママユ)
- 食草:クヌギ・コナラなどブナ科の葉
- 暮らし:野外(または半飼育)。黄緑〜緑の繭をつくることで知られます。
- 繭の色:黄緑系(光条件で黄〜緑に変化)
- 糸:強靭で弾性があり、薬品や光への抵抗性など家蚕と異なる特性が報告されています。
※天蚕の繭は環境次第で色が変わります(暗所では黄、光の下では緑)。繭の黄緑色は、青色ビリン色素と黄色色素の重なりによるものとされます。
糸のちがい(光沢・風合い・染めの相性)


- 光沢のニュアンス:家蚕は“水面のような滑らかな艶”、天蚕は“奥からほのかに光る”表情。家蚕の光沢は三角形断面ゆえの屈折が一因です。
- 強さとコシ:天蚕は厚みや圧縮弾性、化学的耐性などに特徴があり、織り上がりの存在感が出ます。
- 染めの相性:家蚕は染めやすく再現性に優れます。天蚕は色が入りにくいという点がありますが、「繊維のダイヤモンド」と言われるほど素材そのものの美しさがあります。
育ち方と季節
家蚕は人の管理下で安定的に育つのに対し、天蚕はクヌギなどの樹上で育つ一年一化(地域・管理により例外あり)が基本。繭は葉をつづり合わせて樹上につくられ、未穿孔の繭は繰糸(生糸にひく)になれます。糸となる繭もそれぞれおかれる環境に合わせた特徴になります。
山まゆの素材づかい
- 家蚕:八王子の撚糸屋さんからの良質な正絹糸、工房での手紡ぎ真綿糸など、表情に合わせて選びます。
- 天蚕:岩手の友人が育てた繭や、山梨の工房で育てた繭をいかし、天蚕の正絹糸/手紡ぎ糸として作品へ。黄緑系の自然な色味やしなやかさは唯一無二です。
- 色づくり:デザインや用途に応じて、植物由来の染料と化学染料(イルガラン等)を使い分け。耐久性が必要な場面では化学の力を、やさしい揺らぎを活かしたいときは植物の色を。
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よくある質問
Q. 家蚕と天蚕、いちばんの違いは?
A. 食べる植物と暮らしの場が違います。家蚕は桑を食べ室内で、人と一緒に生活します。天蚕はクヌギなどの樹上で育ち、黄緑系の繭をつくります。
Q. 天蚕の繭は生糸(繰糸)にできますか?
A. 天蚕の繭は生糸にできますが、糸にできない部分もたくさんある為、とても希少な糸となります。(使えない部分は、紡ぎ糸として活かされます)。
Q. 日常づかいにはどちらが向きますか?
A. どちらも心地よいです。家蚕はなめらかで扱いやすく、天蚕はふくよかで凛とした風合い。用途やお好みでお選びください。
補足コラム:未穿孔の繭と「全部は繰れない」理由
未穿孔(みせんこう)の繭とは、蛾が羽化して外に出るための“出口の穴(穿孔)”が開いていない繭のこと。糸が切れていないため、繭糸を連続フィラメントとして繰ることができます。生糸はすべてこの未穿孔の繭からできています。
- ただし、繭の最外層(フロス)や最内層のごく薄い層はそのままでは繰れない部分になりやすく、結果として「繭全体のうち可繰の区間は一部」となります。天蚕の繭は、糸繰りができない部分が30~40%ほどもあるそうです。
- 糸繰りをする際は、はじめにブラッシングでフロスを落として糸口を探り、最後は最内層で終わります。始めは切れていてなかなか繰れず、だんだんとつながった糸になっていき、そして最後が近づいてくると、糸が切れ始めます。
- 天蚕繭は家蚕より繰糸が難しいため、前処理(煮繭・精練の前段)に亜硫酸水素ナトリウムなどの薬剤や、近年は酵素を用いて付着物をやさしく落とし、糸繰りができる状態にします。
研究報告では、前処理なし(従来系)での回収率(繭殻重量に対して実際に繰れた割合)がおよそ6割台、酵素前処理で7割前後に向上した例があります。制作の現場でも、繭の個性に合わせて“繰れる部分を最大限いかす”工夫が欠かせません。また、繰れない部分も、私たちの工房では真綿にして紡ぎ糸にしたりと捨てない工夫をしています。

